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2005-12-25 備忘録、本の抜粋② [詩人・読書]

備忘録、本の抜粋を転載
サイト閉鎖に伴い。
書名は現在不明。
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星の明かりで道が見えるほどの満天の空。東京のように弱々しい星ではありません。ここでは、星も、木も、川も生命力旺盛です。それでいて誰もお互いを損なったりしません。振り返れば宿は明々と周りの闇を照らしながらも、林の中にしっとりと溶け込み、星の光も消さず、川の音も消さず、ただ暖かい人間の家としてそこにありました。ここでなら、傷ついたり疲れたりした人々が癒され、この国府のちを第二、第三のふるさととしてまた旅立っていける、と自然に思えるものがありました。P226「あぶらむの宿」建設に携わった鵜川さんの手記より



旅人の宿としてのあぶらむでは、いったいどのようなプログラムが用意されているのかと訊ねられる。これも私にとっては困った質問で、プログラムなど一切何もない。あるとすればせいぜい夕食を一緒に食べながらおしゃべりをするだけである。そのおしゃべりも聞き役に徹する時もあれば、訊ねられるままに私のことを話す時もある。しかし、それよりもその日そこに居合わせたお客さん(旅人)同士が気持ちよく自由に話し合えるように心を配る。なぜなら旅人同士のほうが、私以上に旅路の情報を豊かに交し合い、お互い励ましあえることを幾度も見てきたからである。P296



私たちの働きのひとつに、旅の途上で道に迷ったり悩んだりした人たちとの長期共同生活がある。・・・・・・・・

あぶらむの里というこの空間の中で、田畑を耕し、台所に立ち、山に入って木を切り、長い冬に備えてまきをつくり、夕食の後はテレビの代わりにたくさんおしゃべりをし、時には宿を訪ねた人たちと心を交わす。そんなありふれた一般的な光景の中に、旅の途上で立ち止まらざるを得なかった人たちが何かに気づき、何かを得て、また自分の人生旅路に旅立っていくのである。それはあまりにも一般的で普通であるために理解されることが時として困難である。わらわれの社会で受け入れられるのは、たとえばそれが不登校者専門施設であったり、摂食障害者の治療専門施設とか、○○施設的発想のものでしかない。同じ問題を抱えた人だけを集めてということであれば、それは一種の隔離的なものであり、どこか不自然なものであると言わざるを得ない。P310



私は現在、飛騨の山中で旅人の宿の主をしている。いろんな人が訪ねてくる。そしていろんな人から相談を受ける。その中でひとつ感じることは、自分と「和解」出来ている人は多くはないということである。

人生で受けた傷や受け入れがたい現実など、私たちはいろんな自分を背負っている。

しかしそれらすべてが私である。それを認め、それを受け入れる時、本当の私の人生旅路が始まるのではないだろうか。自分が自分のことを好きになると、不思議と「勇気」がわいてくる。「転んだら起きる」という旅する力は、ひょっとしたら自分との和解からから生まれてくるのではないかと思う今日このごろである。P330


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