わたしたちは
この青海の「願い」から生み出されて
四十六億年をかけて
はるばるここまで
たどりついた
「願い」の果ての
またひとつの
青く染められた
わたしたちという
尊い「願い」なのであるから
「永田浜 正月」より抜粋
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<リンク>
⇒鹿児島大学山岳部ホームページ
⇒鹿児島大学山岳部ホームページ「屋久島の風景」の部屋
屋久島永田浜からの美しい画像をお借りしました。
九州南部の美しい山々の写真、全国の登山記録満載のサイトです。
⇒山尾三省氏のあしあと
⇒田口ランディさんのコラムマガジン2001.5.17のバックナンバー
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<トラックバック>
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フーゲツのJUNさんの風雅遁走!(ふうがとんそう)ブログ
(2005/08/08追記)
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「農と島のありんくりん」より
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「DJ ROBIN'S ブログ
~屋久島と山登りと不思議探しのススメ~」
山尾三省が愛した白川郷の写真
⇒深緑の屋久島へ <9>
屋久島旅行記のその9。お勧めのお店などの紹介あり
見ると必ず屋久島へ行きたくなる・・・。
それにしても羨ましい・・・。
⇒大工
「工房地球のかけら」より詩作「大工」の紹介。
沖縄の木工作家さんのブログです。
旅行の際はぜひお立ち寄りを。
<書籍情報>
「祈り」(詩集)
単行本: 151 p ; サイズ(cm): 21 x 15
出版社: 野草社 ; ISBN: 4787702823 ; (2002/09)
・井戸掘りにチャレンジ
本格的な井戸掘りにチャレンジされた記録
井戸掘り後の水道使用量変化、排水管図、リンクが充実
NHKにも取り上げられたそうです。
・自分で出来る打ち抜き井戸の掘り方
こちらも有名サイト。「手づくり井戸に挑戦」という本で井戸掘り器を考案、紹介されました。
ここで紹介されている「井戸掘り器」を使って井戸掘りに挑戦された香川県の方(いわば弟子?)
が夕方 のニュースで放送されたのを見て私も「自分で井戸が掘れるんだ」と驚きました。
・toychikin'sHOMEPAGE
井戸掘りの他、DIY関連が充実しています。雨水と井戸のハイブリッド活用や瞬間水量に
限りある浅井戸の自動集水システムなど応用技術は一見の価値あり。
・私の井戸掘り体験記 v(^-^)v(y・shibataさん)
toychikin'sさんのリンクより。
岡山平野部で井戸掘りに挑戦された方。
13.3mも掘り進まれたんですね。
びっくりしたのは13.3m掘り進んだところで土器片が出てきたという記述。
2つの粘土層の下からの出土という事は縄文時代、水位が下がった時代のものと
思われます。
有力な仮説では縄文時代は東北、北海道に人が多く西日本にはほとんど人が住んで
いなかったという事で当たらずとも遠からずと思います。
でも個人的には「本当かな?」と思っています。
13m以上掘っても鉄分を含んだ水が出たということです。
おそらく当地の地質もy・shibataさんのケースに近いと思われ、良質な水を得るには
少なくとももう一層掘り下げないとダメだと思われます。
一体何m掘り下げないとダメなんでしょ。
・打ち抜き井戸掘り
やはり岡山で井戸を掘られた方です。
我が家の井戸もおそらくこちらと同じく8,9mくらいの深さだと思います。
揚水システムもこちらとほぼ同じものです。
・「井戸掘り」それは失敗の連続だった
タイトルどおり3回挑戦されて成功された苦労話が参考になります。
後進は先達の失敗から学ぶのです。
・a well(井戸)完成編
なんと2m掘っただけで井戸が出来てしまうんですね。
使ってみた道具と所感が参考になりました。
・井戸掘り
池田式ドリルによる井戸掘りを画像付で紹介。
池田式ドリルは粘土質の掘削に特に効率的との事です。
空気圧で吸引する方式の曽我部式井戸掘り器の場合、硬い粘土質の掘削に苦労されている
と思われ池田式ドリルはこの点良さそうだなと思います。
また曽我部式の場合、井戸本体と井戸掘器の間に石が咬み込んで抜けなくなるケースが
あるそうですが構造的に池田式ドリルでは咬み込みのリスクはないだろうと想像しています。
道具を自作するのに苦労しそうですが。。。
・井戸堀器の作り方
池田式ドリル型井戸掘器の製作方法が紹介されています。
鉄板を円状に切り出して穴を開けてねじって鉄棒に巻きつけ溶接するという工程で、円盤を
作るのが大変との事です。
ホームセンターで円盤状の鉄板なんて売ってないのかなぁ。
最近はDIY用途の溶接機もホームセンターで売っているのですが5万円くらいはするようです。
なんとか簡便に自作する術を考えたいです。
岡山から国道53号線を北上、県外からならば中国自動車道(中国道)佐用IC下車し西粟倉村を抜けると鳥取県智頭町に入ります。
ここの芦津渓谷に「みたき園」はあります。
「みたき園」の「みたき」とは「三滝」で龍が宿ると言われ雨乞いの神として祭られていました。
最近個室居酒屋が流行していますが、ここは「庵食事屋」とでも言うのでしょうか?。
広大な庭園の中の所々に庵があり、そこで食事ができるのです。
鳥取県県観光情報HPより
ここの庭園は見事です。
金閣寺は北山式庭園という自然を巧みに利用した庭園なら、みた
き園は「超北山式」。
・・・と書くとオーバーですが、金閣のような庭園は喧騒があると
台無しだと思うんですよね。
ここは渓谷のなかにある静かな庭園です。
なだらかな丘陵に庵がポツポツとあり落ち着いて食事ができます。
大きな滝や美しい川も流れていますから、食後に川涼みをしたり、
喫茶でコーヒーを飲みながらぼんやり自然を眺めたりできます。
木陰と川風、せせらぎの音で夏でも涼しく感じられます。
少人数での予約の場合正午過ぎの時間帯が狙い目で庵を独占
できました。
地の山菜、ヤマメを使った料理は、丹念に材料を選定、調理され
美味でした。
いわゆる大人の味です。
冷凍した竹筒に冷酒を注いだ竹酒も涼しげで美味。
この酒も智頭町の地酒です。
もちろん「飲んだら乗るな」です。
事前に運転を代わってくれる方を見つけておきましょう。
ちなみにこの地酒、石山家庭園の近くに蔵元直営のお店が
地味にあります。
私が訪ねた際は試飲させてもらえました。
食事を終えると園内を散策。川のせせらぎ、滝の音、もみじ
の緑が目に眩しい。
大きな滝のたもとまで歩いていけます。
思わず童心にかえってしまいます。
秋はきっと紅葉が美しいでしょうね。
給仕の方々の心のこもった応対も印象深かった。
リラックスしたなぁと思える1日が過ごせます。
みたき園は11月までの営業となっており行かれるなら
予約を取っておいた方が無難かと。
石谷家住宅の近くには蔵元があったり、雰囲気
のいいギャラリー兼喫茶店もあったり
智頭町は楽しい所が一杯です。
帰路は途中岡山県西粟倉村のあわくらんどで果物買って、温泉入って帰ります。。
あわくランド周辺に立ち寄り湯ができる温泉が2軒あります。
こちらを参照してください。
湯郷温泉という手もありますね。
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【智頭町のお勧めスポット】
以下に紹介した場所以外にもいい場所あったら紹介してください。
■野土香■
板井原集落にあるギャラリー兼喫茶店。
まるでタイムスリップしたかのようでした。
⇒板井原集落
「森信雄の日々あれこれ日記」より
板井原集落の美しい写真
⇒山の上の喫茶&ギャラリィー 野土香
野土香と板井原集落の美しい写真
■楽粹のパン屋さん■
すいません。店名は忘れました。
みたき園のほんの近所の豆腐工場隣接のパン屋さんです。
すぐに分かります。
生地にオカラを練りこんでいます。
とても美味しい。
確かオカラは無料で詰め放題だったと思います。
■酒蔵交流館「梶屋」■
石山家住宅近所の酒蔵、諏訪酒造。
試飲させてくれます。
タンポポや菊の酵母を使った珍しい吟醸なんかもありました。
日本酒好きには結構楽しい。
みたき園の竹酒はここのお酒を使っています。
■参考■:智頭町観光ナビゲーション
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⇒山菜料理 みたき園公式サイト
⇒4 Travel.jp
Alcatさんの初夏の芦津渓の日帰りの旅
画像を拝借しました。
⇒Yahoo地域情報 芦津渓谷
⇒田舎時遊人のCountory Life
「みたき園」の紹介記事が載っています。
⇒あたしのお気に入り
みたき園の写真など。美しいですね。
⇒こーちゃんだいありー
お子様連れでみたき園に行かれた日記です。
川を眺めていると時々魚がピシャっと跳ぶんです。
⇒工作日記
おいしくて、うれしい昼ごはん
⇒HALLの写真館 新館
みたき園の写真が沢山あります。
⇒とっとり雑学本舗第39号
「編集部の週末レポート」(2000.12.05)
⇒智頭町オフィシャルサイト
⇒ひろのお散歩紀行
徒歩、バイク、自転車散歩大好きのひろのおさんのブログ
智頭町出張の記事です。
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初稿:2006-04-21 19:02:33
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『倉敷での回顧展』
1992年三橋節子回顧展が倉敷で開催された。
この回顧展は、倉敷の主婦が中心になって「はこべ会」(※)というグループによって企画運営された。
大新聞社支局が引き受けた後援が「本社の意向」ということで取り消し、市の支援も拒否され回顧展開催は暗礁に乗り上げた。
支援が受けられなかった理由は「企画展が黒字になった前例がない」からとの事。
財政面での裏付けがなかったプロジェクトは会が毎月ガレージセールで廃油石鹸、不用品を販売し当初の活動資金とした。
市営美術館の1ヶ月の貸切料500万円の手当てがなかったロングランの個展は蓋を開ければ来場者12,000名超という地方都市としては記録的な来場者となった。
※はこべ会は個展の残務終了後に当初目的を終え活動を休止。
会出身の女性たちを中心に現在当地でさまざまなNPO活動が展開されている。
新聞社、行政主催の美術展が軒並み興行的な失敗が続く中、
主婦が中心になって開催にこぎつけた三橋節子個展は大成功に終わった。
この成功事例が「主婦の自分たちでも何か出来るんだ」という
自信という種を蒔いた意義は大きかった。
この個展の企画者から個展の最終収益金で自費出版された本「はこべ」を頂き私は三橋節子という夭折の画家を知ることとなった。
さらに梅原猛の「湖の伝説」を読んで、三橋節子の見た風景、作品を目にしたいと思っていた。
三橋節子(1939~75)
『三橋節子美術館へ』
15日夕刻まで関西で仕事。
駅のコインロッカーに預けてあった宿泊用のカバンを携えて大津へ向かう。
当日は日暮れ頃から雨足が強くなる。
駅前の雑踏を避け古い大津の町並みの残る場所に宿を取る。
翌日は昨夜の雨が嘘のような天気。
今度は仕事用のカバンを大津駅に預けて徒歩で長等に向かう。
京阪電鉄上栄町駅前の踏切を渡り案内標識に従って歩く。
長等山。
彼女が愛してやまなかった名も知れぬ雑草が美しい山。
中腹に「三橋節子美術館」はあった。
大津駅から700mというところであろうか・・・。
今回展示されていたのは彼女がインド旅行(昭和43年)に出てから昭和47年までの画家としては中期の作品が中心だった。
晩年の作品は7月上旬から展示するとの事。
展示スペースの関係上彼女の全作品を一度に公開することは難しく
1.初期の雑草を中心に描いた時代
2.インド旅行後の人物を描いた時代
3.晩年の琵琶湖の民話をモチーフにした作品を描いた時代
をローテーションしながら展示しているとの事。
『作品を見て』
三橋節子の晩年の作品は重い。
しかしどこか突き抜けた透明感がある。
純粋さ、というよりは無垢な感じ。
純粋さは「純粋ではない」という状態なしには存在し得ない。
水の一滴が湖に滴り落ちる、当たり前の摂理。
当たり前の摂理を私たちは忘れるにも程があるほどに忘れている。
展示されていた「三井の晩鐘」をモチーフにした作品、梅原氏は晩年の作品に描かれる女性は三橋節子自身ではないかと推察する。この点には同感。
「花折峠」も展示されていた。
民話の「花折峠」は意地の悪い女に川に突き落とされた女は何もなかったように自宅に戻ったとなっているのに対して三橋節子の「花折峠」の女は死んでいる。
彼女は民話をモチーフとしながらもそれにとらわれず彼女自身のイメージの世界を作品に展開している。
絶筆となった余呉の天女(京都文化博物館所蔵)、画像がよろしくないため原画と比較するとかなり明るすぎるが、ここで描かれる天女は実体の在る者から実体の無い者、風になる情景のように私は思える。
天女は天に昇るのではなく、風となって自然に同化しているその瞬間のように私には思えた。
『三橋節子という人について』
彼女がどのような人生を歩んだかは「湖上の伝説」「吾木香」に綴られている。
彼女は不運であっても決して不幸ではなかった。
神でも超人でもない。
右腕を失う前夜、彼女は泣いたという。
手術後半月後には左手でスケッチと文字を書く練習を始め、退院の礼状の文字はこれが左手で書かれた文字であるとはとても思えない。
これは家族が絶えず彼女を励まし力づけた結果であり、彼女の超人的な画家としての復帰には周囲の見えざる努力と犠牲があったことを忘れてはならない。
では、三橋節子の何に惹きつけられるのだろう。
最初の入院から2年2ヶ月を人生を生き切り、完成させたという点にあるのかもしれない。
運命と闘った。
闘いつつも闘う事に我を忘れなかった。
鎖骨肉腫を摘出した時点で肺への広範囲の転移が認められ5年生存は絶望的で、夫靖将氏はありのままを彼女に伝えたためかもしれない。
最後まで個を失うことはなかった。
まだまだ三橋節子という人と絵を知る旅は始まったばかりだ。
彼女の絵を見ることで、考えることで、考えることはもはや無駄だと思い知って感じることができた時何か私の中で静かな変化が起こるような気がする。
(2006/06/21追加)
三橋節子 2人の愛児への最後の手紙
「岸辺に-娘 三橋節子」三橋時雄より抜粋
『大津で感じたこと』
南近江(淡海)にあるこの地は「常ならない空気」が漂っている。
近江大津宮、壬申の乱、火縄銃の生産地等々・・・。
近江には二度天皇が住んだ。
ひとつは天智天皇の大津宮、もうひとつが聖武天皇が臨時に設けた設楽宮であるが琵琶湖畔に設けられた宮は大津宮ただひとつである。
天智天皇の人柄、性格がなんとなく見え隠れしているように思われる。
古代、都や国府が置かれた場所は人の住む土地として良好な地だと思う。
古代の風情が残っている限り・・・だが。
大津もこの私の身勝手な公式にたがわず、歩いているだけで気分が良くなる街。
ただし駅前と幹線道路沿いは頂けないが・・・。
JR大津駅を離れ京阪電鉄の路面電車の軌道を普通の線路を走る電車が走る風景はびっくりした。
この京阪電鉄沿線にどうやら古い町並みが残されているらしい。
いつか比叡の山や鯖街道を歩いてみたい。
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⇒京都フォトギャラリーとジャズの世界
画像をお借りいたしました。
⇒三橋節子(画家)
「るる☆女を語ってみました。」より
⇒「伊吹山のふもとのレストランです」より
「心に残る作品」に三橋節子の作品画像と共に所感
⇒秋野不矩美術館:「秋野不矩・三橋節子の旅」を観て
⇒三井の晩鐘
⇒ 三井の晩鐘…三橋節子の最後の手紙
国見弥一さんのブログ「無精庵徒然草」より
記事もさることながらリンクも充実
サイトもご一読ください。
⇒三井の晩鐘
伝説だと思っていた三井の晩鐘、まだ現役なのですね
⇒追悼文集「吾木香-三橋(鈴木)節子を偲ぶ」
⇒「三橋節子 ー生と死の間の中で「赤」「青」「白」の世界が広がるー」
カラーコンサルタントの著者が色彩という観点から三橋節子さんを語っておられます
⇒画家・三橋節子
「コーヒーブレイク」より
2人のご子息に宛てられた最後の手紙が紹介されています
手紙の画像を拝借しました。
⇒『湖の伝説』
「海辺の日々」ブログより
⇒長等公園
この公園の中に三橋節子美術館があります
⇒滋賀の風景
「日本の風景 ゆきおのホームページ」より
余呉の美しい風景を紹介されております
⇒Mother Lake 八景
三橋節子さんの夫、日本画家鈴木靖将氏の記事
⇒鯖街道ホームページ
鯖街道、京都滋賀県境付近に「花折峠」はある。一度歩いてみたい。
我が家の井戸水が非常用に使用できないかと考えている。
一番の問題は水質よりも手動揚水ではなくモーター式であること。
一度地震で電力供給が止まると井戸そのものが使えなくなる。
次に水質。我が家の井戸水には大量の鉄分が含まれる。
まず鉄分を落とす必要がある。
ろ過装置については市販品もあり。
この井戸水、バケツに採水してしばらく放置しておくと酸化が始まり赤茶色に変色する。
細かな粒子にはなっているようだが、粒子の比重が軽いためかいつまで経っても沈降しない。
ミョウバンを凝集剤として使うか?。
凝集剤で鉄分を落とした後、手製のろ過装置を通した後煮沸殺菌するのが現実的か?。
ミョウバンは薬局で購入可能。
来週テストしてみる予定。
手製のろ過装置については以下の通り
水濾過講座 報告
15日まで雨続きでしょうから、一気に平年の貯水率を回復し、
緊急放流が必要になるでしょう。
一時は本土から船で水を運搬することまで検討したようですがよかったよかった。
早明浦ダム状況表示はこちら
瀬戸大橋に巨大な水道管を通して岡山県側から水の供給を受けるのっていかが?。
岡山も決して水資源豊富とは言えないんですが。
とにかく、毎年ハラハラしながらお隣香川をはじめ四国の水事情を見ています。
これで今年の夏はココロおきなく讃岐うどんが食べにいけそうです。(笑)
四国ってうどんは旨いし海の幸も旨い。
このふたつを食べたいばかりになにかと理由を見つけては四国へ。
瀬戸大橋もいいですけど、私はフェリーが好き。
風に吹かれて海や空を眺めて1時間を過ごします。
おまけに瀬戸大橋を使うよりも安いのです。
うどんの食べ方は冷たいの、熱いのと2杯食い。
倉敷ではこういううどんの食べ方が普通なのですが、
香川でやると店員がちょっとヒキます。(涙)
このところ変な頭痛が時々ある。
夏の暑さで突然ぶっ倒れないかしら・・・。
デスクトップパソコン、OSをインストールして放置状態。
これは来週末使える状態にしよう。
非常食、食料品を買いに出ると大抵1個、2個非常食を買うよう心がけている。
賞味期限切れにならないようサイクルさせているが大変な量になる。
我が家なら災害時、無補給でも1週間程度なら大丈夫そうである。
保存はいい加減なもので使わないザックに入れっぱなしにしてあったり台所の棚に入れたり。
問題は水。
井戸はあるのだが鉄分が多すぎてとても飲用にはできない。
汲んだ直後は透明なのだが5分ほど放置しておくと鉄分が酸化して赤っぽい水に変色する。
これでは洗車用に使う気にもならないし、庭の水やりもブロック塀に井戸水をかけていたら1年で赤茶色に変色してしまい塀の井戸水を使うときは塀の部分を避けてみずやりしている。
我が家の土地は江戸時代初期まで湿地だったのだから少し掘るだけで水が出る。
もっと深くまで掘り下げないと飲用できそうな水が得られないのかもしれない。
いずれ手堀り井戸に挑戦してみたい。
googleで井戸掘り器で検索してみてください。