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「孤独であるためのレッスン」諸富祥彦 NHKブックス(Rev.1.00) [詩人・読書]

この6月にお亡くなりになった宮迫千鶴さんが著作の中で
諸富祥彦さんについて触れられていたので購入した本。

宮迫千鶴さんは日本の臨床心理学の草分け的存在の加藤清さんと
の対談集「円環する男と女―両性具有の時代へ 」で衝撃を受け
てから全著作読破を決めていたのですが、その作業が終わる前に
逝ってしまわれた。

宮迫さんに傾倒し始めて間もない頃、偶然お酒の席でお会い
しました。
傾倒っぷりを前面に出してもご迷惑なので、聞き手に回って
いると同年輩の女性の方と「女は60からよ」と楽しげに意気投合
されているのを聞いて
「”自称魔女”はどんな老いの魔法を発見してくれるんだろう」
と楽しみにしてたのに・・・。
フワリと優しい笑顔をお見かけすることができないのかと思うと、
残念で寂しい。

いつか宮迫さんについてもまとまった記事を書きたいのですが、
彼女の本を1冊読むと10冊課題を貰うような按配で、いつにな
る事やら。。。

諸富さんの本についてもいつか記事で書きたいのですが、一点
気になるキーワードを発見しました。

思考の中に刷り込まれた「ゆがんだ思い込みやこだわり」
を発見する方法として「ハコミ・セラピー」という
新しい心理学的アプローチを解説してくださっているのですが、
さわりの部分だけ抜粋します。

■■続きを読む■■


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あけがたにくる人よ(永瀬清子) [詩人・読書]



あけがたにくる人よ
永瀬清子

あけがたにくる人よ
ててっぽう(※)の声のする方から
私の所へしずかにしずかにくる人よ
一生の山坂は蒼(あお)くたとえようもなくきびしく
私はいま老いてしまって
ほかの年よりと同じに
若かった日のことを千万遍恋うている

その時私は家出しようとして
小さなバスケットひとつをさげて
足は宙にふるえていた
どこへいくとも自分でわからず
恋している自分の心だけがたよりで
若さ、それは苦しさだった

その時あなたが来てくれればよかったのに
その時あなたは来てくれなかった
どんなに待っているか
道べりの柳の木に云えばよかったのか
吹く風の小さな渦に頼めばよかったのか

あなたの耳はあまりに遠く
茜色の向うで汽車が汽笛をあげるように
通りすぎていってしまった

もう過ぎてしまった
いま来てもつぐなえぬ
一生は過ぎてしまったのに

あけがたにくる人よ
ててっぽうの声のする方から
私の方へしずかにしずかに来る人よ
足音もなくて何しに来る人よ
涙流させにだけ来る人よ
___________________
(※)

ててっぽう=キジバト、鳴き声を擬音化した方言。鳴き声はこちら(mp3)
長い尾っぽと羽根がドバトと比べて鮮やかなのが特徴です。
街で見るハト(ドバト)に似ていますが実際見ると気品を感じる美しい鳥です。
___________________
<LINK・TB>

 ⇒永瀬清子の世界
   旧岡山県熊山町(現赤磐市)サイト内の永瀬清子さんの紹介ページ
   生前のご本人の朗読も聴く事が出来ます。
 ⇒沢田知可子オフィシャルサイト
   永瀬清子さんの歌と朗読で綴った「美しい国」というアルバムをリリースされています。
 ⇒蟲日記
   倉敷美観地区にも近い鶴形山のふもとの蟲文庫という古書屋の店主さん。
   素敵なお店です。
   倉敷にいらっしゃる機会があれば是非お立ち寄り下さいませ。
   2005/07/08「苔観察日常」にて永瀬清子さんの「苔について」という
   詩を紹介されております。
 ⇒気楽に山歩き
   yamaaruki1212さんのブログ。
   以前山尾三省さんについて書いた際田口ランディさんのメールマガジンバックナンバー
   へリンクしたのですが、私も『ひかりのあめふるしま屋久島』は読んでみたくなりました。
   もちろん屋久島から帰ってからです。
 ⇒ハートですね
   2005/07/03「打算なき優しさを」にて永瀬清子作さん詩、信長貴富さん作曲の
   「天空歌」という曲を紹介されています。
 ⇒地下水脈。
   deracine600302さんのブログ。
   永瀬清子さんの「右手」という作品を紹介されています。
 ⇒小鳥ピヨピヨ(a cheeping little bird)
   永瀬清子さんの短いエッセイ2編を所感とともに紹介されています。
 ⇒国立天文台
   画像を拝借いたしました。
 ⇒ことりのさえずり
   キジバトの鳴き声の音声を拝借しました。
___________________
<書籍>

永瀬清子詩集

永瀬清子
___________________


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三木清人生論ノートより [詩人・読書]

 


 

今日の人間は幸福について殆ど考えないようである。
試みに近年現れた倫理学書、とりわけわが国で書かれた倫理の本を開いてみたまえ。
ただの一箇所も幸福の問題を取り扱っていない書物を発見することは諸君にとって甚だ容易であろう。
かような書物を倫理の本と信じてよいのかどうか。
その著者を倫理学者と認めるべきであるのかどうか、私にはわからない。
疑いなく確かなことは、過去の全ての時代においてつねに幸福が倫理の中心問題であったということである。
ギリシアの古典的な倫理学がそうであったし、ストアの厳粛主義の如きも幸福のために節欲を説いたのであり、キリスト教においても、アウグスティヌスやパスカルなどは、人間はどこまでも幸福を求めるという事実を根本として彼らの宗教論や倫理学を出立したのである。
幸福について考えないこと今日の人間の特徴である。
三木清「人生論ノート 幸福について」より
========================
この本が書かれて半世紀、いまだに幸福と倫理の関係性を確たるものにしていない。
ダライ・ラマ来日の際のインタビューがNHK特集として以前放映された。
彼が言いたかったことのひとつが三木清のこの文章に集約されている。
かくいう、私も幸福と倫理のリンクを会得しているようには思われない。


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矮小化した世界 [詩人・読書]

 

 

心の理想の桃源郷(※)を捨て、
内的・外的体験をとおして自らを不安にさらすことなしに、
かつまた外的世界への道を閉ざし、
ひたすら自らの矮小化した世界にのみ安住することを望むとすれば、
それは自己の内的世界を貧しくすること、
自己を自己のうちに封印すること、
自己を一元化することであり、
ひいては世界の全体を一次元化し、
あの月面のクレーターのように冷えた世界にすることであろう。

心の理想の桃源郷(※)を捨てたとき、
われわれは冷え切った形骸化した人間として、
不毛のクレーターをひとり耕すことになる。

木戸三良著「文化のパラドックス」序章 P8より 

※「心の理想の桃源郷」・・・原著では「エロース」、古代ギリシャ語「愛の神」の意。ここでは「心の桃源郷」という意味が近いでしょうか・・・。ご指摘ください。

最近心の理想郷を見失っているようです。
短慮に心を惑わす日々です。
どうも年度末にかけて私の心中は穏やかではありませんでした。
うう・・・・、珍しく落ち込んでます・・・。


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「あぶらむ物語」大郷博(初稿) [詩人・読書]

あぶらむ物語―人生のよき旅人たちの話








倉敷「レモングラス」からお借りし、後で購入した本。

著者の大郷博さん、いい意味で「変わった人」ですね。
最初船乗りになろうとしたり、当時珍しかったハワイへの一人旅
に出たり、ホテルマン養成の学校に入ったり・・・。
自分探しの旅路の末、大郷さんはハンセン病療養所沖縄愛楽園と出会い、愛楽園での経験、園の基礎を築いた青木恵哉氏の臨終に
立会い、一生かけて探求すべき「課題」を見出します。
そして神学校を経て立教大学チャペル( 英国国教会)の牧師
(チャプレン)に就任します。

牧師としての活動は「経験すること」が大事なんだと毎夏有志の
学生を連れて愛楽園を訪ねてボランティア三昧の「沖縄キャンプ
」があったそうですが、それはそれは厳しいもので「大郷地獄」
と呼ばれたのだそうです。(どんな地獄だったんだ?)
このキャンプに参加された方々のレポートが2,3掲載されてお
ります。いかに魂を揺さぶられる経験であったのかが読み取れま
す。

また「キリスト教は砂漠で生まれた宗教だから砂漠という原体験
を経験せねば・・・。そうだ日本にも砂漠はある。それは海だ!
」という事でなけ無しのお金をはたいて外洋航海できるようなヨ
ットを買って文字通り「原体験」をしたり・・・。

以前、禅の専修道場の住職の講演を聴いた後、一緒に食事する
機会がありました。
坊主頭だらけの中に自然に坊主頭になりそうな私。
この会には住職を慕って宗派を問わず近隣の禅寺の住職のほか
真言宗の住職も混ざって、この方がまた忌憚のなく口にされるの
で話が弾み大変趣あるものでした。

ある遠方からいらした住職が「悟り」という状態を得たいがために
若い頃、LSDを1度だけ服用されたことがあったという話をされて
内心ぎょっとしました。

今は「麻薬」として取り扱われるのですが、以前はアメリカの精
神療法に処方される薬剤で知人が持ち帰ったものを1錠服用され
て、半日は恍惚とできたのだけれど、その後激しい嘔吐に襲われ
て「やっぱり安易な方法はダメだったね」という事だったんです
が、大郷さんや「悟り」の状態を体験したいばかりにLSDを服
用された禅の住職のような猪突猛進、行動する方って最近見かけ
なくなりましたね。
寂しい限りです。

ハンセン病をめぐる長い偏見の歴史。それはこの病気が抗生物質
を服用すれば治癒してしまうようになったにもかかわらず、つい
この間まで法律として正当化されていたのですね。これは改めて
考えるにやはりショックでした。
ただこの本ではハンセン病を巡る国家の人権侵害を、日本の穢れ
(ケガレ)思想を糾弾するという目的はなく、社会から追い立てら
れるように疎外され療養施設がない時代は人里離れた場所に小屋
を建てあるいは洞窟に暮らし野垂れ死に、療養施設が出来てから
も強制的去勢手術等を受け入れざる得なかった人々の悲しみ、そ
れでも生きてゆきたいと言うぎりぎりの希望が綴られています。
心に残った少し長い引用文があります。興味のある方はこちらこちらをご覧ください。

後に牧師を辞め「あぶらむの会」を作り飛騨高山に「あぶらむの宿」建設に至った経緯などについて綴られています。
牧師を辞めた大郷さん、資金のメドなどさっぱりゼロで自分で建
物を作るつもりで木工関係の職業訓練校に入ります。高山に旅人
の宿を作ろうと町と交渉に入りいざ場所も決まってさぁ決済とい
うところで「金はありません・・・。」(このくだりのやりとり
は失礼ながら笑いました)。

「あぶらむの宿」は一般的な宿とは少し趣が違うようです。
本書に出てきた「あぶらむの宿」の雰囲気が伝わってきそうな文
章をいくつか挙げておきます。
こちらをご参照ください。
一文だけとても心に残った文章がありますので直接こちらに転載
します。

______________________________________________________
私は現在、飛騨の山中で旅人の宿の主をしている。いろんな人が
訪ねてくる。そしていろんな人から相談を受ける。その中でひと
つ感じることは、自分と「和解」出来ている人は多くはないとい
うことである。
人生で受けた傷や受け入れがたい現実など、私たちはいろんな自
分を背負っている。
しかしそれらすべてが私である。それを認め、それを受け入れる
時、本当の私の人生旅路が始まるのではないだろうか。自分が自
分のことを好きになると、不思議と「勇気」がわいてくる。「転
んだら起きる」という旅する力は、ひょっとしたら自分との和解
からから生まれてくるのではないかと思う今日このごろである。
P330
______________________________________________________
山尾三省さんが死病に冒されていた時、
「人生で遭遇したすべての事をありがとうと赦せて逝けるなら最
高だな」というような事を本で語られていました。
先般紹介した加藤清さん「前世療法」という私には
まだ理解の範疇を越えた心理療法を時として採られるそうですが、
(無知ゆえの誤解を恐れず語るなら)そうした心理療法を採ったと
しても自分が経験した過去そのものを変えることはできないと語
っておられました。ただ未来を変えることはできると・・・。
世間の誰も自分を認めてくれない、でも自分で自分を認める、赦
すことができるのならば一歩踏み出せる、そんな気がします。
この世知辛い世の中で悩み苦しむ人が数多く生きていることを経
験者として知っています。
私もかつて長く苦しみ、そしてまたつまずくかも知れません。私
には何もして差し上げる事はできません。ただ方々の生き方を「
それでいいんだよ」と言うことしか・・・ね。

一度訪ねて大郷さんと酒でも飲みながら(お酒はお好きなようで
す)話をしてみたいです。
来年の夏、石川の李政美ファン恒例のライブスケジュールをうま
くリンクできないかなぁ。
私も将来「あぶらむの宿」ほど大規模でもなければ、そもそも宿
でもない「場」を作りたいと思っているのです。

思えばこの本を貸してくれたレモングラスさんも場を提供しよう
と、それは私のような人間だったり、障害を持つ子供たちに有機
農園で収穫体験をしたり、お店の掃除に(本当はそんな必要はな
いんだけど)自立支援施設から毎週掃除に来てもらって、バイト
代を払ってお茶を飲んで会話したり。

弱者や少数派をまるで居なかったかのように取り扱う社会は、誤っている。
全てにおいて多数派である人なんてどれだけ居るでしょう。
また自分は常に多数派を装うことが幸せなんでしょうかね?。

 ⇒小石ぬぐとぅ
   「ドスマキとは何か?」という記事で青木恵哉氏について
   触れられています。
 ⇒ ファミリー旅行記
   2004年5月4日5日の「飛騨古川・アブラムの宿・飛騨高山
   」の記事で「あぶらむの宿」を紹介されています。
 ⇒ハ ンセン病のリンク集
   ハンセン病を巡る諸問題を網羅的にリンクされています。

______________________________________________________
【更新履歴】
2005-12-23 10:01:21 まだ読み終えていないにもかかわらず
              初稿着手
2005-12-24 06:42:43 「アブラハム」を独立した記事とするた
              め削除
2005-12-24 13:39:50 抜粋記事を転載(ああ、時間がない!)
2005-12-24 16:00:00 クミコさんに本返却。また2時間雑談。
2005-12-25 19:32:45 ようやく初稿完成
2005-12-25 20:25:53 TBを入れました。
2005-12-26 02:17:57 一部コメントを追加
              (近日中改訂予定)
2008-08-19        長い熟成期間?を経てようやく改訂

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