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画家三橋節子について(Rev2.00編集中) [三橋節子]

大津の三橋節子美術館を訪ねる。(地図
三橋節子についてはこちらこちらの記事を参照いただきたい。
三橋節子については梅原猛氏の「湖の伝説―画家・三橋節子の愛と死」(新潮社)が出版された。
この他に梅原氏が「湖の~」執筆にあたり資料とされ引用された追悼文集「吾木香」は三版をかぞえ三橋節子美術館で有償頒布されている。
この他、父三橋時雄氏が節子逝去後10年の節目に出版した「岸辺に」(サンブライト出版)がある。

余呉の天女2.jpg
 「余呉の天女」(絶筆、京都文化博物館所蔵)

『倉敷での回顧展』
1992年三橋節子回顧展が倉敷で開催された。
この回顧展は、倉敷の主婦が中心になって「はこべ会」(※)というグループによって企画運営された。
大新聞社支局が引き受けた後援が「本社の意向」ということで取り消し、市の支援も拒否され回顧展開催は暗礁に乗り上げた。
支援が受けられなかった理由は「企画展が黒字になった前例がない」からとの事。
財政面での裏付けがなかったプロジェクトは会が毎月ガレージセールで廃油石鹸、不用品を販売し当初の活動資金とした。
市営美術館の1ヶ月の貸切料500万円の手当てがなかったロングランの個展は蓋を開ければ来場者12,000名超という地方都市としては記録的な来場者となった。
※はこべ会は個展の残務終了後に当初目的を終え活動を休止。
 会出身の女性たちを中心に現在当地でさまざまなNPO活動が展開されている。
 新聞社、行政主催の美術展が軒並み興行的な失敗が続く中、
 主婦が中心になって開催にこぎつけた三橋節子個展は大成功に終わった。
 この成功事例が「主婦の自分たちでも何か出来るんだ」という
 自信という種を蒔いた意義は大きかった。

この個展の企画者から個展の最終収益金で自費出版された本「はこべ」を頂き私は三橋節子という夭折の画家を知ることとなった。
さらに梅原猛の「湖の伝説」を読んで、三橋節子の見た風景、作品を目にしたいと思っていた。


三橋節子(1939~75)

『三橋節子美術館へ』
15日夕刻まで関西で仕事。
駅のコインロッカーに預けてあった宿泊用のカバンを携えて大津へ向かう。
当日は日暮れ頃から雨足が強くなる。
駅前の雑踏を避け古い大津の町並みの残る場所に宿を取る。
翌日は昨夜の雨が嘘のような天気。
今度は仕事用のカバンを大津駅に預けて徒歩で長等に向かう。
京阪電鉄上栄町駅前の踏切を渡り案内標識に従って歩く。
長等山。
彼女が愛してやまなかった名も知れぬ雑草が美しい山。
中腹に「三橋節子美術館」はあった。
大津駅から700mというところであろうか・・・。
今回展示されていたのは彼女がインド旅行(昭和43年)に出てから昭和47年までの画家としては中期の作品が中心だった。
晩年の作品は7月上旬から展示するとの事。
展示スペースの関係上彼女の全作品を一度に公開することは難しく
1.初期の雑草を中心に描いた時代
2.インド旅行後の人物を描いた時代
3.晩年の琵琶湖の民話をモチーフにした作品を描いた時代
をローテーションしながら展示しているとの事。

3602766_1.jpg
『作品を見て』
三橋節子の晩年の作品は重い。
しかしどこか突き抜けた透明感がある。
純粋さ、というよりは無垢な感じ。
純粋さは「純粋ではない」という状態なしには存在し得ない。
水の一滴が湖に滴り落ちる、当たり前の摂理。
当たり前の摂理を私たちは忘れるにも程があるほどに忘れている。
展示されていた「三井の晩鐘」をモチーフにした作品、梅原氏は晩年の作品に描かれる女性は三橋節子自身ではないかと推察する。この点には同感。
「花折峠」も展示されていた。
民話の「花折峠」は意地の悪い女に川に突き落とされた女は何もなかったように自宅に戻ったとなっているのに対して三橋節子の「花折峠」の女は死んでいる。
彼女は民話をモチーフとしながらもそれにとらわれず彼女自身のイメージの世界を作品に展開している。
絶筆となった余呉の天女(京都文化博物館所蔵)、画像がよろしくないため原画と比較するとかなり明るすぎるが、ここで描かれる天女は実体の在る者から実体の無い者、風になる情景のように私は思える。
天女は天に昇るのではなく、風となって自然に同化しているその瞬間のように私には思えた。

『三橋節子という人について』
彼女がどのような人生を歩んだかは「湖上の伝説」「吾木香」に綴られている。
彼女は不運であっても決して不幸ではなかった。
神でも超人でもない。
右腕を失う前夜、彼女は泣いたという。
手術後半月後には左手でスケッチと文字を書く練習を始め、退院の礼状の文字はこれが左手で書かれた文字であるとはとても思えない。
これは家族が絶えず彼女を励まし力づけた結果であり、彼女の超人的な画家としての復帰には周囲の見えざる努力と犠牲があったことを忘れてはならない。
では、三橋節子の何に惹きつけられるのだろう。
最初の入院から2年2ヶ月を人生を生き切り、完成させたという点にあるのかもしれない。
運命と闘った。
闘いつつも闘う事に我を忘れなかった。
鎖骨肉腫を摘出した時点で肺への広範囲の転移が認められ5年生存は絶望的で、夫靖将氏はありのままを彼女に伝えたためかもしれない。
最後まで個を失うことはなかった。
まだまだ三橋節子という人と絵を知る旅は始まったばかりだ。
彼女の絵を見ることで、考えることで、考えることはもはや無駄だと思い知って感じることができた時何か私の中で静かな変化が起こるような気がする。
(2006/06/21追加)

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三橋節子 2人の愛児への最後の手紙
「岸辺に-娘 三橋節子」三橋時雄より抜粋

『大津で感じたこと』
近江(淡海)にあるこの地は「常ならない空気」が漂っている。
近江大津宮壬申の乱、火縄銃の生産地等々・・・。
近江には二度天皇が住んだ。
ひとつは天智天皇の大津宮、もうひとつが聖武天皇が臨時に設けた設楽宮であるが琵琶湖畔に設けられた宮は大津宮ただひとつである。
天智天皇の人柄、性格がなんとなく見え隠れしているように思われる。
古代、都や国府が置かれた場所は人の住む土地として良好な地だと思う。
古代の風情が残っている限り・・・だが。
大津もこの私の身勝手な公式にたがわず、歩いているだけで気分が良くなる街。
ただし駅前と幹線道路沿いは頂けないが・・・。
JR大津駅を離れ京阪電鉄の路面電車の軌道を普通の線路を走る電車が走る風景はびっくりした。
この京阪電鉄沿線にどうやら古い町並みが残されているらしい。
いつか比叡の山や鯖街道を歩いてみたい。



<リンク/トラックバック>
 ⇒京都フォトギャラリーとジャズの世界
   画像をお借りいたしました。
 ⇒三橋節子(画家)
   「るる☆女を語ってみました。」より
 ⇒「伊吹山のふもとのレストランです」より
   「心に残る作品」に三橋節子の作品画像と共に所感
 ⇒秋野不矩美術館:「秋野不矩・三橋節子の旅」を観て
 ⇒三井の晩鐘
 ⇒ 三井の晩鐘…三橋節子の最後の手紙
   国見弥一さんのブログ「無精庵徒然草」より
   記事もさることながらリンクも充実
   サイトもご一読ください。
 ⇒三井の晩鐘
   伝説だと思っていた三井の晩鐘、まだ現役なのですね
 ⇒追悼文集「吾木香-三橋(鈴木)節子を偲ぶ」
 ⇒「三橋節子 ー生と死の間の中で「赤」「青」「白」の世界が広がるー」
   カラーコンサルタントの著者が色彩という観点から三橋節子さんを語っておられます
 ⇒画家・三橋節子
   「コーヒーブレイク」より
   2人のご子息に宛てられた最後の手紙が紹介されています
   手紙の画像を拝借しました。
 ⇒『湖の伝説』
   「海辺の日々」ブログより
 ⇒長等公園
   この公園の中に三橋節子美術館があります
 ⇒滋賀の風景
   「日本の風景 ゆきおのホームページ」より
   余呉の美しい風景を紹介されております
  ⇒Mother Lake 八景
   三橋節子さんの夫、日本画家鈴木靖将氏の記事
  ⇒鯖街道ホームページ
   鯖街道、京都滋賀県境付近に「花折峠」はある。一度歩いてみたい。

履歴:初版2006-06-18 19:43:36 現在:2008-08-12 現在編集中
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sayoko

初めて三橋節子さんのことを知りました。
もの悲しくて、力強く、慈愛に満ちていて・・・
梅原猛氏の著作にも興味があります。今度読んでみましょう。
それにしても、あの若さで幼い子を残して逝くことはさぞ無念であったろうと、最後の手紙を読むだけで十分伝わってきます。
三橋さんを知ったことだけで、今日はいいことがありました。ありがとう!
by sayoko (2006-06-03 21:48) 

binten

こんばんは
画像掲載した最後の手紙は死の前日に書かれたものです。

大津はJR京都駅から2駅の場所にあり、三橋節子美術館のある長等公園の展望台からは琵琶湖の絶景が眺められるかと思います。
もし京都を訪ねる機会がありましたらお運びになられてみては?。

今、三橋節子画集を手配しておりますが絶版から20年、良好な状態のものが少なく大変です。
by binten (2006-06-05 21:16) 

NO NAME

こんにちは。
あぁそうだったんですか・・・
前日――まさに絶筆ですね。
京都へ行くことがあれば、美術館はぜひ行ってみましょう。

画集、簡単には手に入らないんですか・・・残念!自分のために、私も心がけてみます。
by NO NAME (2006-06-06 12:25) 

sayoko

前記のコメント、私です。
名乗るの忘れてしまいました・・・失礼!
by sayoko (2006-06-06 12:27) 

binten

sayokoさん
こんばんは
>画集、簡単には手に入らないんですか・・・残念!
いや、実は今日倉敷で三橋節子展を開催された発起人の方とお話したら何冊かお持ちでした。
梅原猛氏責任編集版と、梅原氏等から協力を頂いて出版された「どくだみ会」版と。
私は古書店のサイトへ在庫確認してようやく手に入れたのに灯台下暗しとはこの事です。
もし必要でしたら、先方とお話してみます。
ひょっとしたら送料程度で譲っていただけるかもしれません。
私の画集入手の経緯を話したら「バッカじゃない」と呆れられておりましたから・・・。
by binten (2006-06-06 19:00) 

sayoko

三橋さんの画集、ご迷惑でなかったら、ぜひ・・・
決して急ぎませんし、何かのついでの時でけっこうですから、そのためにお時間を使われませんように。
それに、送料程度とおっしゃらずに、どうぞきちんと請求してくださいね。

今日は仕事がお休みだったので、梅原猛『湖の伝説』読み始めました。
梅原氏が大学のごたごたで苦労されたお話は知っていましたが、つながりがあり、また、氏にずいぶんと影響を与えてもいたのですね。
情報ありがとうございました。

ところで、6月大坂のちょんみさんのコンサート行かれるんですね。レポート楽しみに待ってます。
私は次回は7月、葛飾・チャペルコンサートへ家族3人で行きます。
お天気がよかったら、自転車で隅田川の土手を走って、堀切橋をわたるつもり・・・たのしみ。
では、おやすみなさい
by sayoko (2006-06-07 00:17) 

binten

>三橋さんの画集、ご迷惑でなかったら、ぜひ・・・
>決して急ぎません
はい分かりました。
お言葉に甘え急ぎません。(笑)

>葛飾・チャペルコンサート
いいですね。
堀切菖蒲園は出張ついでに一度訪ねたことがあります。
ちょうどお祭りの時期だったようで賑やかでした。

>自転車で隅田川の土手を走って、堀切橋をわたるつもり
素敵ですね。
今は随分眺めも変わってしまったようですが「京成線」の原風景を楽しんできてください。
by binten (2006-06-07 06:49) 

やいっち

びり犬さん、コメント、リンク表示、ありがとう。
『吾木香』のことなど、情報をありがとう。
中身の濃い記事ですね。 

見たい画を求めて旅に出る…。そんな旅は素晴らしいし、実行できるのは羨ましい。
思えば小生、北陸(富山)に生まれたのに、琵琶湖は見たことがない!
いつか、歴史や風景を求めての旅に出たいと思っています。

三橋節子さんは、晩年の二年が印象的のようですが、その前からを通して全貌を見てみたいものです。
by やいっち (2006-06-18 00:19) 

binten

やいっちさん

記事、参考にさせていただきました。
彼女は雑草画⇒人物画⇒琵琶湖の昔話。
の順で描く対象を変遷させているのですが病名告知(夫鈴木靖将氏を通して)から逝去に至る2年間の作品がやはり抜きん出ているように思いました。
まるでマラソンのラストスパートのようであり、絵に強い魂がこもっているようにも思えました。
三橋節子美術館はその作品を3回のローテーションで入れ替えながら展示をしております。
余呉の天女は京都文化博物館所蔵となっており、三橋節子美術館では通常レプリカ展示となっております。

ありがとうございました。
by binten (2006-06-20 01:53) 

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