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山尾三省「祈り」Vol.3 [山尾三省]


                    窓をいくこの風景は
             何かとても大切なことを示していると感じられて
                     よく考えてみたら
                 そこに広がる青空というのは
               ぼく達のいのちそのものなのであり
                 流れてゆく白雲のきれはしは
          そこから湧き出す様ざまなぼく達の思いの形なのだった

                     いのちは、青空
                      思いは白雲


<書籍情報>
「祈り」(詩集)「窓」より抜粋
単行本: 151 p ; サイズ(cm): 21 x 15
出版社: 野草社 ; ISBN: 4787702823 ; (2002/09)
<画像情報>
2004年冬 岡山県建部町「たけべの森」周辺にて撮影
<関連サイト>
 山尾三省氏のあしあと
 田口ランディさんのコラムマガジン2001.5.17のバックナンバー
 たけべの森
 ・撮影した日、猿と遭遇してびっくりしました。
  目が合って互いに一瞬きょとんとしてしまいました。


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山尾三省「祈り」Vol.2 [山尾三省]


                      結局人生は
                この「ありがとう」ということを
                   心から言うためにこそ
                      あったのだ

                       ありがとう


<書籍情報>
「祈り」(詩集)
単行本: 151 p ; サイズ(cm): 21 x 15
出版社: 野草社 ; ISBN: 4787702823 ; (2002/09)
<引用>
「足の裏踏み」より
<参考サイト>
 JRA(日本聖地巡礼協会)
 画像をお借りいたしました。
 山尾三省氏のあしあと
 田口ランディさんのコラムマガジン2001.5.17のバックナンバー
 


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瑠璃の森に棲む鳥について(立松和平、山尾三省対談集) [山尾三省]

心に残った言葉。
実はまだ半分ほど読めていません。(-_-;)

時間の旅というのはちょっと今忘れられていますね。旅が空間の旅になってしまったというのが近代ないし現代の特徴かもしれませんね。
<中略>
旅というのは空間の旅だけではない、人生というたび、生きるという旅もあるんだということに気がつきましたね。
山尾三省P37~P38

全ての人間がよく考えてみると言葉でも生きているんですよね。僕も最近ほんとに思うんですけど、善い言葉を持つ必要があると思うんです。善い言葉を持てば、神を持っていることと同じことなんですよ。その善い言葉が神なんですよ。それはまさに聖書にいわれているように、初めに言葉があった、言葉は神であったと、ヨハネ伝でしたか、そういう言葉がありますよね。善い言葉を持つということは神を持つことなんですね。それは仏を持つということでもありますけど。
山尾三省P58

「犀(さい)の角のようにただ独り歩め」-もうこれなんですよ。その言葉でぼくなんかある意味でここまできているんですよ。生きているんです。その言葉一つで終わりまでいけるんですよ。
山尾三省P59


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もうひとつの「祈り」==山尾三省の遺言 [山尾三省]

李政美さんの「祈り」の詩を書かれた山尾三省氏の遺言
(正確には山尾三省氏の詩に李政美さんが曲をのせられました。)
ボクにはもうひとつの「祈り」のように思ます。
 『MORGEN』2001年7月7日号からの転載となります。
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 僕は父母から遺言状らしいものをもらったことがないので、こ
こにこういう形で、子供達と妻に向けてそれ書けるということが、
大変うれしいのです。
 というのは、ぼくの現状は末期ガンで、何かの奇跡が起こらな
い限りは、2、3ヶ月の内に確実にこの世を去って行くことにな
っているからです。
 そのような立場から、子供達および妻、つまり自分の最も愛す
る者達へ最後のメッセージを送るということになると、それは同
時に自分の人生を締めくくることでもありますから、大変身が引
き締まります。

 まず第一の遺言は、僕の生まれ故郷の、東京・神田川の水を、も
う一度飲める水に再生したい、ということです。神田川といえば、
JRお茶の水駅下を流れるあのどぶ川ですが、あの川の水がもう
一度飲める川の水に再生された時には、劫初に未来が戻り、文明
が再生の希望をつかんだ時であると思います。
 これはむろんぼくの個人的な願いですが、やがて東京に出て行
くやもしれぬ子供達には、父の遺言としてしっかり覚えていてほ
しいと思います。

 第二の遺言は、とても平凡なことですが、やはりこの世界から
原発および同様のエネルギー出力装置をすっかり取り外してほし
いということです。自分達の手で作った手に負える発電装置で、
すべての電力がまかなえることが、これからの現実的な幸福の第
一条件であると、ぼくは考えるからです。

 遺言の第三は、この頃のぼくが、一種の呪文のようにして、心
の中で唱えているものです。その呪文は次のようなものです。
 南無浄瑠璃光・われらの人の内なる薬師如来。
 われらの日本国憲法の第9条をして、世界の全ての国々の憲法
第9条に組み込まさせ給え。武力と戦争の永久放棄をして、すべて
の国々のすべての人々の暮らしの基礎となさしめ給え。

 以上三つの遺言は、特別に妻にあてられたものなくても、子供
達にあてられたものでなくてもよいと思われるかもしれませんが、
そんなことはけっしてありません。
 ぼくが世界を愛すれば愛するほど、それは直接的には妻を愛し、
子供達を愛することなのですから、その願い(遺言)は、どこま
でも深く、強く彼女達・彼ら達に伝えられずにはおれないのです。
 つまり自分の本当の願いを伝えるということは、自分は本当に
あなたたちを愛しているよ、と伝えることでもあるのですね。

 死が近づくに従って、どんどんはっきりしてきてることですが、
ぼくは本当にあなた達を愛し、世界を愛しています。けれども、
だからといって、この三つの遺言にあなたがたが責任を感じるこ
とも、負担を感じる必要もありません。
あなた達はあなた達のやり方で世界を愛すればよいのです。市民
運動も悪くないけど、もっともっと豊かな”個人運動”があるこ
とを、ぼくたちは知ってるよね。その個人運動のひとつの形とし
てぼくは死んでいくわけですから。

「子供達への遺言・妻への遺言」全文
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やまお さんせい
1938年東京生まれ。早稲田大学西洋哲学科を中退し、 1960年代の後半に
サカキ・ナナオや長沢哲夫らとともに、社会変革を志すコミューン活動「部族」
をはじめる。1973年、家族と、インド、ネパールへ1年間の巡礼の旅に出る。
1977年、屋久島の廃村に一家で移住。
この20年間、白川山の里づくりをはじめ、田畑を耕し、詩の創作を中心とする
執筆活動の日々をここで送っている。
2001年8月28日、胃がんのため屋久島にて亡くなる。
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