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「喜屋武マリーの青春」レビューRev1.0 [喜屋武マリー(Marie)]

喜屋武マリーの半生を綴ったこの本の初稿は1986年8月の琉球新報に連載という形で発表され、まず南想社より単行本として出版。連載時の初稿より記述内容をめぐる紆余曲折を経てちくま書房版(文庫)をもって決定稿として88年世に出た。
この本はミュージックシーンから見た沖縄の戦後史でもあり後にAサインデイズというタイトルで映画化(89年、崔洋一監督、中川安奈石橋凌広田玲央名出演)された。
初稿連載時より約20年、時代はうつろう。
沖縄発の音楽はいまや一過性のブームを越えて日本のミュージックシーンでも欠くべからざる大きな存在になっている。
現在の沖縄発の音楽にナイチャー(内地人)が寄せる期待は「癒し」であり島ことばであり琉球音階であり島唄である。そこに喜屋武マリーの歌の原動力であった「アメリカーと沖縄」という悲愴なテーマは少しも感じられない。
沖縄自体が好むと好まざるとに関わらず米軍依存経済から内地からの観光産業(2004年で来島観光者数500万人)にシフトし同時に外人よりもウチナンチュー(沖縄人)、ナイチャー(内地人)の志向に合致した音楽にシフトしてきた結果ともいえる。
マリーの音楽表現も変わったし彼女を取り巻く環境も変わった。
寂しくも感じるがそれが歌の本質、人生の真実の断片なのかと思うよりほかはない。
喜屋武マリーと幸雄がその86年までの半生を抱えてきたテーマと引用する。
()内は筆者補足、・・・・・は中略

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「子供の時から「全て外人(在沖軍人)がらみで生きてきた」彼(幸雄)は、外国語をあやつり、外人相手に生きてきた。彼の生活圏は「外国」であった。しかし彼は自分の意識の中に「外国」を取り込もうとしたことはなかった。むしろ彼は、ことさら「外国」を拒絶し続けようとしてきた。 彼はしばしば「大嫌いなアメリカ人」という。そういわれないでいられないのは、外人相手のときの自分とそうでないときの自分を区分けして生きてきたからである。あえて区分けするところに、彼の人生の根拠と正義があった。幸雄の中の沖縄が、「大嫌いなアメリカ人」といわせる。 マリーもまた、自分を区分けしてやってきた。ハーフであるという事実が、区分けを強制する。彼女は「アメリカ人になりたい」と思い続けて、日本の学校へ通った。こう思い続けるところに、彼女の区分けのあらわれがある。 ・・・・・ 「アメリカ人になりたい」というマリーの言葉は、ハーフとして生まれた彼女のなかの沖縄が言わせている。これは彼女が、自分に課した悲しい自己反発と自己告発の表現である。 幸雄もマリーも、彼らの内部にあるアメリカと沖縄を、ふたりそれぞれのやり方で区分けしながら生きてきた。区分けの辛さを、二人は共有している。 ・・・・・ ちくま文庫版P219より

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ボクが沖縄をシャイン旅行で訪ねたのが99年。1985年のプラザ合意(なぜか先ほどニュースでこの用語を久々に耳にした。)以降の円高ドル安ピークの頃だった。
著者のいう「アメリカーとウチナンチュー」の区分けはこの頃には必要なくなった。高い物価で通常勤務の(戦時手当てのない)米兵が豪勢に飲み歩くなど到底不可能だろうから。
ただ「ウチナンチューとナイチャー」の区分けは今も存在しているのかもしれない。
そう感じたのは外資系の必要以上に豪勢なシャイン旅行で「リゾートホテル」なる分不相応かつ嫌悪感を伴うフレーズ「リゾート」な宿にばかり泊まったせいからだろうか。
そこは奇妙に演出された沖縄があり、ホテルでウソ臭い沖縄料理を摂りプライベートビーチで泳ぎ・・・。
そこは沖縄ではない。演出されたリゾートいう名の隔離施設である。(と、リゾート批判が延々続くのでやめる。)
リゾートな雰囲気が嫌で借りた自転車で或いは徒歩で体力の続く限りいろいろなものを見ようとした。
所詮2,3日のスケジュールがぎっちり詰まれたツアー旅行では無駄な抵抗でただ「見た」という視覚情報レベルに留まるが・・・。
当初は「あれは沖縄ではない」と落胆したが、いやそうではない。あれも「沖縄」という多面体の一面なのである。
クリスチャンスクールに通っていたマリーの息子たちはこのボクの自意識過剰に対して既に一定の答えを見つけている。

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「学校では英語だけですから、自分もアメリカ人みたいな気になっていますよね。うちへ帰れば日本語を使っているんだから、日本人だと思っているし、街で日本人と出会っていて、自分はハーフの子なんだなと思うこともあるけど・・・さあ、自分が何人かなんて、考えたことないですね。というより、そういうこと、どうでもいいじゃないですか。同じ人間なんだから。友達もみんな、そう思っているようですよ。アメリカとかアメリカ人とかいっても、べつにどうとも思わないし、沖縄とか日本人とかいっても、べつにどうって事もないです。」 ちくま文庫版P223-224より

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イマココニイルヨ(李政美作詞、おーまきちまき作曲)の世界。
ボクは代々の農家に生まれた。この地に農地が拓かれた初期からほとんど住所も変わらず住み続けている。それ故因習化されかつ合理的意義を見出せない差別に無意識でありある日愕然とする少年の日があった。加害者にとっても差別は心に深い闇を宿すものなのである。だからこそ「アナタと私、今ここにいるよ」「自分が何人かなんて、考えたことないですね。」という言葉はたとえようもない救いの言葉でもある。

その後のマリーについてはよく分からない。
分からないというのは彼女自身についてどこにも記されておらず知る術がないということである。
音楽以外にも活動の場を広げて演劇の舞台に立ったり(ブラッドブラザース)SHOW-YAのボーカルとして平壌ステージに参加したり東京に拠点を移して専門学校で教えたり。現在は沖縄に拠点を戻しているとの事。いろいろ調べるうちに歌のかたわらでラジオ局のパーソナリティを4月から勤めていらっしゃると聞きなんだか嬉しくなってしまった。「オキナワ」との距離を感じ「アメリカ人になりたい」と思い続けてきた彼女が「オキナワ」の顔という形でどうやら一応の決着をつけた(らしい)のだから。むろんこれは傍観者の邪推に過ぎないが。

この本を読んで喜屋武マリーがハードロックのボーカルとして全盛だった頃の歌を聴きたいと思うようになり、そして今の歌も聴きたいと思う。(如何せん生の歌を聴きたいと沖縄通いを始めようものなら途端に破産なのだが・・・(T_T)。)
喜屋武マリーの歌にはボクが聴きたいものが潜んでいると確信めいたものを得た一冊であった。

 ⇒It's So Easy
   ヘヴィ・メタル/ハード・ロック主体のサイト。
   「喜屋武マリーの青春」のレビュー記事あり
 ⇒MovieWalker
   映画「Aサインデイズ」の解説
 ⇒be like water 波乗り日記とカープ
   「喜屋武マリーの青春」レビュー記事
 ⇒だいすけの沖縄音楽紀行?
   「喜屋武マリーの青春」レビュー記事ほか。
   「紫」「CONDITION GREEN」など一時代を築いた沖縄ハードロックに
   ついても所感を添えて紹介されています。
 ⇒マーミの日記
   マリーさんのステージレビューを記されています。
 ⇒PR PELLANT
   喜屋武マリー with MEDUSA のアルバムの紹介
 ⇒琉球放送株式会社(RBC)
   喜屋武マリーさんと中沢初絵さん(山咲トオルのお姉さま)パーソナリティによる新番組
   4月より月曜18:30~の『マリーとはつえのWomen’sクリニック』が放送開始。
   マリーさんが沖縄の人に向けて語れるようになったことがちょっと嬉しい。
 ⇒あらい舞マイフレンド
   マリーさんの元でロック修行をされた「あらい舞さん」の公式サイト
 ⇒Island Breeze
   沖縄ハードロックバンドとアルバムの紹介
 ⇒東アジアフォトインベントリー
   最近(?)のマリーさんの画像付の記事を掲載されています。
 ⇒懐かし泡盛ラベル「喜屋武マリー」
   こんな泡盛もあったんですと・・・・・。
 ⇒ブログ版ボラログ
   マリーさんの記事を記されています。
 ⇒映画瓦版
   マリーさん出演の映画「シャウト オブ アジア」のレビュー


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コメント 8

tachikawahansenbira

トラックバックありがとう。ライブビデオも持っていますが、もしかしてファンのお宝になるかな?
by tachikawahansenbira (2005-09-28 18:08) 

カイ

TB有難う御座いました。
喜屋武マリーさんのエントリにまさかTB頂けるとは驚きました。
「喜屋武マリーの青春」
自分は音楽からのアプローチでこの本を知ったのですが、今では知るすべもあまりない当時の沖縄の状況を非常に詳しく描かれていて、沖縄という島が、沖縄に住む人たちが、どのような思いで当時をそして現在を過しているのかを深く考えさせてくれる本でした。
マリーさんの表現力豊かで力強い歌声に聞き入ってしまいます。
by カイ (2005-09-29 00:46) 

binten

BORAさん
コメント&ナイスありがとうございます。
>ライブビデオも持っていますが
それは間違いなくお宝だと思います。
でもやっぱり生で聴きたかったです。(かなわぬ夢)
88年ライブでマリーさんをお聴きになられたとの事。
ホントに羨ましいって実はまだマリーさんの声を全く耳にできていないのですが・・・。
近日中にCDを入手する予定です。
あの頃の歌も聴きたいのですが、今の歌も聴きたいです。
どんな音楽表現になっているのか想像すらできないのですが、次に沖縄に行く機会があればマリーさんの歌を聴けるタイミングに合わせたいなと思っています。
法学館憲法研究所のサイトの「立川反戦ビラ訴訟」の記事
( http://www.jicl.jp/hitokoto/index.html )
も読ませていただきます。
ありがとうございました。
by binten (2005-09-29 01:17) 

binten

カイさん
コメントありがとうございます。
知り合った方から「きゃんまりー」というお名前を聞いて瞬間「あ、その方知ってますよ沖縄のロックミュージシャンですよね?」と返したのですが実のところそれ以上「喜屋武マリー」という方について何も知らなかったのです。そこで長距離ドライブの帰り道あちこち本屋を巡って「喜屋武マリーの青春」を入手した次第です。既に絶版でした。残念です。
この本は癒しの島沖縄、ボクらが知りたい沖縄のイメージとは違うんですね。
でも沖縄に心を少しでも寄せる者の礼儀として読まなくては。
そんな事を思いつつ読み進めました。
沖縄という宝石のきらめきのひとつが何となく見えたな、という思いです。
これから喜屋武マリーさんの歌に触れようと思います。
お勧めなどありましたらまたご紹介くださいませ。
ありがとうございました。
by binten (2005-09-29 01:53) 

ichibangai

はじめまして。喜屋武マリーのことを色々検索していたらこちらにたどり着きましたので、ちょっと彼女についてお話します。
ワタシは沖縄在住なのですが、ひょんな事から彼女と知り合いまして、時々ランチしたりしています。彼女は現在沖縄に戻ってきていて、ライブやラジオのパーソナリティなどをこなしながら、新しい展開に向けて突き進んでいます。
昨日、彼女のブログをちょうどアップしたばかりですので、そのURLをお知らせいたします。彼女の近況などが伺えるのかと思いますので、どうぞ観てみてくださいませ。
http://ameblo.jp/marie-s-bar-asian-rose/
ちょっと蛇足ですが、私のブログにも時々彼女が登場しますので、よろしかったらゴランになってくださいませ。
http://ameblo.jp/ichibangai/
それでは失礼いたしますです。
by ichibangai (2005-12-02 18:43) 

binten

ichibangaiさん

ああ、また嬉しい出会いです。
ボクは喜屋武マリーさんがラジオのパーソナリティーとして沖縄の人々に語りかけられているのを知ってうれしく思いました。

喜屋武マリーさんを知ったのはちくま版「喜屋武マリーの青春」出版に奔走された野上さんとの出会いからでした。

ご紹介いただいたブログ早速訪問いたしました。
うれしかったなぁ。
ありがとうございます。
by binten (2005-12-03 01:02) 

ichibangai

ワタシのブログにもマリーのブログにも、早速訪問していただきましてありがとうございます。ワタシも彼女の『喜屋武マリーの青春』がきっかけで、彼女と知り合ったので、Bintenさんのブログを訪れたのもなにかのご縁と思いまして・・・喜んでいただけてよかったです。彼女は先月からライブハウス・モッズと言うところで、アンプラグドをシリーズで始めています。また何かある時にはお知らせしますので、よろしくお願いいたします。
by ichibangai (2005-12-03 12:11) 

binten

ichibangaiさん
ご紹介&コメントありがとうございました。

「喜屋武マリーの青春」は出版当時話題になりました。
既に読みたい気分になったのですけが敢えて読むのを先延ばしにしようと思っているうちに忘れてしまい、ちくま版の出版に携わられた方のお話してから書店に走りました。
既に絶版で古本屋さんにしかありませんでした。
ラジオの放送インターネット配信しないかな。

>また何かある時にはお知らせしますので、よろしくお願いいたします。
了解で~す。
by binten (2005-12-04 18:42) 

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